仕事との両立が難しいと思うこと

土曜日の朝。暑くもなく寒くもない、ちょうどいい春と夏の間の、晴れた朝の日。

こんな日は、おちついた気分でコーヒーでも飲みながらゆっくり読書、、みたく、ちょとブログを書く時間とってみようと思う。

ここ1年ずっと父子家庭やってきて、なんとかやってこれているけれど、仕事がそこそこ忙しすぎない恵まれた環境に居られたから、というのもあった。でもそんな状況はずっと続かないわけで、最近はありえないくらい忙しくなってきてしまっている。

おとといも、仕事が終わらず夕食を作れないので、子どもたちには電話してコンビニ弁当を買って食べてもらうことにした。帰宅は9時半くらい。ここから皿洗いや洗濯ものの取り込み、今日の分の洗濯、入浴なんかもしないといけない。帰宅してから洗わないといけない皿の山をみると、仕事で疲れたメンタルがさらに削がれ、ため息をつきながらお酒を飲みながら皿洗いをし、干してある洗濯物を取り込みタンスにしまい、お風呂に入るころには10時を回っている。となると自分のメンタルは穏やかではいられず、イライラしてしまうんだよな。これがいけないとは分かっているけれど、ごめんな子どもたち。

しかもコンビニ弁当を買って食べさせるのは、食事のバランスが整わないことに加えて、親との会話が帰宅後1時間くらいしか、しかも作業しながらでしか会話する機会がないから、これも問題なんだよな。

 

毎日のように夜7時、8時まで残業できる人はいいと思う。

けれど自分は6時には会社を出ないと食材の買い物と調理ができない。本来はこんな生活パターンが理想的なんだろうけれど、仕事が最短時間でパパっとできるような人ではないから、どうしたって時間かかってしまうんだよね。

ただここが克服できれば、つまり6時帰宅しても仕事が回る状況になれば、会社にとっても余計な給料が発生しないからメリットがあるんだろうな。

仕事のスキルという観点で、乗り越えるべき大きな課題なのかもしれない。

 

ということで、仕事が速くないのにどんどん仕事が増えてきている私は、明日休日出勤します。また明日のお昼はコンビニかな。

ちょっと仕事との距離を考え始めたほうがいいのかもしれない、と思えた今日でした。

48歳にして(いまさらだけど)やり直していること。

1年ちょっと前に離婚して、ココロがひどくダメージを受けた時、これはと思いたったのがバレーボールだった。今日はこの話を書きたいと思う。

中学・高校の頃にバレーをやっていた。中学ではあまり活躍できなかったし、思い通りにできなかったけれど、高校ではその分積極的に頑張り、エースになれたし、部長までやらせてもらった。あんまり強いチームではなかったけれど、バレー部の思い出はいいものもつらかったものもすべて、今の自分を形作っているんだと思う。きっと離婚騒動がなければこんなことは思いもよらなかっただろう。

 

それで、今息子がバレーボールを始めたこともあり、いっしょにバレーができるように自分もバレーを再開した。もう再開して1年くらいになるだろうか。大分感覚が蘇ってきたというか、上達したのかもしれない。普通に一般向けの243mmのネットの高さでスパイクが打てるようになってきたし、なんと、1年間、Vリーグの試合をみてからというもの、ジャンプサーブは俺でもできる!!って錯覚?自信?がついて、何度も練習しているうちにできるようになってきました!!

 

実は、、今日も体育館を5時間貸切って(田舎なので、これだけ借りても驚異の500円!)ずっとひとりでバレーやってました。もう本当、バレーバカですw

 

だけど技術が向上できたって、これってすごいことだと思ってます。もう50手前なのに、バレーボールってうまくなれるんだ、って。高校生の頃やったこともなかったジャンプサーブが打てるようになるなんて。

 

人間、捨てたものでもないし、やればできるんだな、って。月並みだけれど、本当にそう思うようになれた。

それに、筋トレも半年前くらいから始めているけれど、足の筋肉が全然違って逞しくなってきたと思ってる。自分が筋トレしている脚を見て、あれ?これ俺の足だっけ?なんて思うこともある。

 

それに、いちばんの収穫がある。それは、自分を好きになれること。自分自身が大事に思えること。これは大きかった。

 

この感覚、俺の人生で持つ期間って本当になかった気がする。

これは婚姻生活しているときもそうだし、何かぶつけようのない不満のような感覚をずっと持っていて、いやな波長を毎日のように滲ませていたのかもしれない。

 

そういう意味からすると、離婚したことだって自分自身を見つめなおせるいい機会になったと思えば、それは貴重な、ありがたい経験だった、ともいえる。

 

俺はバレーができるんだ、そこそこだけれど、バレーができるんだ、って自分を誇りに思えることって、すごく大事だと思うし、もっと若いころからそういう気構えで生きてきたかった。

 

けれどしょうがない、もう過ぎてしまった時間は取り戻せないのだから。

 

ということで、48歳だけれど、まだまだ動けるし、バレーの技術もすこしずつだけれど向上していけている気がしてる。筋トレしながら自分のスタミナを身に着けつつ、バレーの技術も向上させて、もっともっと自分がすきになれるように、自分が生きているんだ、って思えるように、磨いていきたいと思う。

 

今日は膝がいたいので湿布して寝ます。

そして明日は社会人でやってるバレーのサークルに行ってきます。20代や30代前半のみんなと、バレーを楽しんでくるつもり。

もちろん40代は私一人。これもすごいよね。。

 

まだまだ、続けていきます。

自分をもっと、好きになれるように。

 

今日もありがとうございました。

皆さんにもいいことが次々と訪れてくれますように。

 

 

心底つかれてしまったと感じるとき

ふだん頑張っていても、それが日常であるならなんとか惰性?で水平飛行できる。だけれど、普段やっていないイベントが入ってくると、生活のリズムが崩れ、何もかもが嫌になってしまうことがある。今日はまさにそうだった。

 

わが家は面会交流には制限を設けない条件で離婚した。そのほうが子どものためになると当時は考えたからだ。一般的には毎月1回とか、回数を決めて交流させるのだろうけれども、何がいいかなんてわからないから、都度都度協議して決めればいい、と思っていた。

 

だけれど、毎回そうなのだけれど、面会交流、しかも宿泊を伴う場合、子どもたちを見送った後の父親の心的ダメージは計り知れないものがある。

 

今日で何回目だろう。昨日今日と、宿泊付きの面会交流に行かせた。どうも食事のおいしいホテルを予約したようだ。子どもたちも、少なくとも上の子は楽しみにしているようだ。そして出かけて行ったのだが、いつも嫌な気分が残る。

もう生涯いっしょに暮らすことのないのに、一晩限りの愛情?を確かめるための一時的な面会交流に行くのか、子どもたちの気持ちが母親になびいたとしても、一泊二日後ははいさようなら、っていう関係を改めて突き付けるのか、って。

 

離婚するときに面会交流に制限をつけなくていいのかすごく迷った。市役所の福祉相談課にも相談した。そのとき帰ってきた答えは、お母さんが近くにいて都合のいい時にだけ会わせるなんて、子どもたちにとっては踏ん切りがつかいのではないですか、って言われた。でも制限設けないのが子どもたちのためになると思って離婚を進めたけれど、やっぱり何か違う気がしてならない。

 

それは元妻に対する憎しみ、恨みのような感情も多分にあるけれど、やはり離婚を申し出て、親権を放棄した以上、子どもたちの前から姿を消してほしかった。もう後ろを振り返るようなことを子どもたちにさせてほしくないと思った。たぶん毎回こんなことをぐるぐる考えてしまっている。

今日も車を運転していて勝手に涙が出てきた。まだ離婚して1年と少しだから、傷がいえていないのかもしれない。俺って一体なんなんだ。てか、元妻は子どものためを思って面会交流しているのか? 自分がすっきりしたいから面会交流しているだけなんじゃないのか? どうしたってそう思ってしまう。そうすると恨みたいような感情がふわっと出てきてしまって、自分が疲れる。

 

もう今日はヘトヘトになってしまった。いろんなことに満足していない自分がいて、もう気持ちがぐちゃぐちゃになってしまって、あまり考えられなくなってきてしまって。そしてもうすることないから、お酒飲んでさっさと寝る。これしかないと思ってる。まだ夜の7時過ぎだけれど、もう先に寝ると子どもたちには伝えた。明日仕事だ。果たして仕事できるのかな。

 

こんな気持ち、父子家庭のお父さんはどうやってやりくりしているのだろう。本当に興味があります。

 

もうだめかもしれない、もう乗り越えられないのかもしれない、なんて思いたくないけれどそう思ってしまう自分もいる。前を向いていたいのに、自分自身を否定するもう一人の自分がすぐそばにいて話しかけてくる。まあなんというか、統合失調症なのかもしれないけれど。

 

とにかく、今日はもうさっさとビール飲んで寝てしまうことにします。

父子家庭のかた、もしいましたらぜひメッセージやりとりしてみたいものです。

 

おやすみなさい。

仕事との両立で不安を感じた時。

今日は月曜日。今週もベストを尽くしましょう。

。。。しかし、今日は疲れました。

上司から、新たな新製品の立ち上げを依頼されました。実は、もう既に結構いっぱいいっぱいなところに、さらに新しい仕事を求められてきました。直感的にこれはやばいと思ったのですが、断りにくい雰囲気。いったん引き受けるが、もし悩んだら相談に乗ってほしいということにしました。

 

そして帰宅すると、家庭教師の先生から、上の子の様子がおかしいとのこと。どうも勉強に力が入らないらしく、指導を受けていても上の空とのこと。不安定な原因を聞くと、会話の中にさかんにお父さんとの言葉が出てくるとのことで、もう少し長い時間一緒にいてあげることが大事と思いますよ、とアドバイスをいただいた。

 

さて。一緒にいるべきという。会社では、新しい新製品の立ち上げをお願いしたいという。  これは、両立が無理な典型的なパターンではないか。

俺はどうしたらいいんだ。

そう思いながら、遅めの夕飯を作り始める。午後7時半から作り始めた夕食を食べるとき、8時をすこし過ぎていた。

こんな生活でいいのか。この生活の延長上になにかあるのか。

 

こういう状態になると、一気にメンタルが沈む。

ああ、俺はどうしたらいいんだ。どうやって生きていけばいいんだ。

誰にも相談できない。そうだ、と思って親に電話を掛けた。母親が出る。悩みを打ち明けた。無理するな、とのアドバイス。そりゃあそうだよな、俺が倒れたらこの家終わるもの。自宅に泊まりで来ようか、とも言ってくれたけれど、親の実家から今の住まいまでは1時間くらいかかる。もう年とった親にわざわざ来てもらうのも悪くて、お願いなんてできない。だから、本当に困ったら助けてもらうよ、とお茶を濁しておいた。

 

ほんとうに大丈夫か、俺。
でも、やるしかないよな。

 

だけど、今から来るであろう大波を超えることができたのなら、俺はきっともう一回り大きくなれるのだろうと思う。そういう大人になりたいと思ってきた。今まさに、この意気込みが試されているのだと思う。

 

だってしょうがないじゃないか、目の前に課題が迫ってきているなら、立ち向かっていくほかないじゃないか。

それでだめだったら、次の手を考えればいいさ。

 

そうやって、張り詰めた気持ちの糸をすこしでもほぐそうと意識している。

この先どうなるかわからない。もう既に線路なんてないオフロードを走り始めているんだ。だからこの先も見えない。けれど、走り続けるほかないんだ。

 

自分の未来に光り輝くものがあると信じて。走り続けよう。

そこには希望があると思って、走り続けようと思う。

それはきっと、自分自身にも、子どもたちにも、きっとプラスになると思うから。

 

おやすみなさい。

苦労しているのは自分だけじゃないんだ、とうれしかった日。

とある練習試合の日。いつものように、試合会場の隅っこで部活メンバーのお母さんたちと雑談していた。お父さんが来ているのは、総勢10名くらいいる保護者の中で、私を入れて一人か二人。本来ならアウェーな環境だけれど、話をしたいという想い?からか、積極的にお母さんたちの輪に入って会話をすることが全く苦ではない。

 

今日もまた練習試合中にいつもの会話をしていたのだけれど、今日の会話は違った。

 

いつものように、同い年の息子のお母さんと3人で話していたのだが、ある程度話が進むと、どうしたって家族構成の話になる。
ここはもう、隠していてもしょうがないと思って、告白してしまった。

実は父子家庭なんです、〇年前から離婚して、料理も洗濯も掃除も皿洗いも学校の用意も全部、ひとりで頑張っているんです。だからこうやっていつも応援に来るのは、わが家はお父さんしか来れないから、なんです。って、さらっと言ったけれど、なんだかあまり驚いた表情をしていなくて、すーっと受け入れてくれたような雰囲気だったからこっちが拍子抜けしてしまった。

 

もちろん質問が集中する。なんで親権お父さんがとったの?なんでお母さんが親権とらないの? すべてに丁寧に回答をし続けた。 やはり、お母さんたちの一般的な感覚とは違っているみたい。でも、自分はそれでいいんです、覚悟を決めましたから、って。頑張ってるね、って同情してくれた。もうここで涙腺が緩みかけけてたけれど、練習試合の最中、じっとこらえた。

 

話はここから急展開だった。

 

話し相手をしていたお母さんたちが、私もひとり親のようなものだ、って、家庭事情を告白してくれたのだ。夫とうまくいっていないこと、別居状態が続いていること、子どもたちにもストレスを与えてしまっていること、もちろん母親自身も悩み、子どものことを気にし、どうして今の相手を選んでしまったのだろうとの自分を責める気持ち。

 

あれ?辛いのは俺だけじゃないの?? あれ?みんな苦労しているの??

 

もう、ここから息子たちの練習試合の記憶が全くない。
この瞬間から、ひとり親について、子どもたちへの影響について、家庭での悩みについて、今までの雑談水準を遥かに超えてしまうくらい踏み込んだ話をした。この間、俺ひとりでずっと悩みを抱え込んで、会社からの帰りだったり週末にお酒を飲んだ夜にひとり涙を流していたりしているけれど、乾いたスポンジが水を勢い良く吸収するように、この会話は俺の心にすーーと入り込んでいき、私のココロを潤してくれた。

 

求めよ、さらば与えられん。

どっかできいたことわざだ。

期待すれば、応えてくれる。悩んでいるのは私だけじゃない。

そしてみんな、理解しあえること、分かってもらえることを望んでいるんだ。

俺はひとりじゃない。

 

今日は一瞬でも、気持ちが通じ合えた実感を持てた日だった。

いい一日だった。

今日もありがとう。

 

誰かに何かに甘えたい気分との闘い。

今は束の間の昼食タイム。息子の部活で終日練習試合があり、下の子に昼食をあげるため、昼食タイムに抜け出している。

 

試合を見に来ているのは、8割~9割がお母さん。けれど残りの1割はお父さんも来ていて、その中でも話しやすい人には、我が家が父子家庭であることを告白している。今日も雑談しながら、どうしても父子家庭の話になってしまう。大変ですね、って同情してくれるのは少しうれしい。だけど、ここに何て返事をすればいいのか一瞬迷ってしまう。いえいえ、全然そんなことないですよ、と言いたいのだが、毎週のように辛くて寂しい時に涙を流している自分を知っている。だから、自分にウソをつかず、たまに大変ですよ、全部やるって、慣れれば大したことないですけれど、時々大変に思うことがあるんですよね、という返し方をしている。

話を聞いてくれているだけでもありがたいこと。だけど、この話題はこれ以上続くことはない。そりゃあそうだと思う。そもそも父親が家事を全部やるなんて普通ないから。それで別の話題にうつる。

 

日常の生活で、普通の家庭のお父さんと話をするときはこれ以上期待をするのは筋違いなのなのはよくわかってる。期待するだけ会話が重くなってしまうし、自分自身、自立して生きていくのだったら、きちんと相手との線引きをしないといけないこともわかってる。

 

わかってる、けど。

本当は、本当のことを言えば、声を上げて今の気持ちを思いっきりぶちまけて、つらいんだよ、俺だって頑張ってるけど、つらい時があるんだよ、誰にもこの気持ちを打ち明けられなくて、ふさぎ込んでしまうときもあるんだよ、毎週金曜の夜になると気持ちが辛くなってきて、たまに一人で泣いているんですよ、って。声を出して泣きたい。この気持ちを打ち明けたい。

 

これが本音。

 

でもそんなことできないし、してくれる人もいないから、たまに運動して紛らわしている。自分の中にふつふつと噴火しきれない気持ちが積もっていくのを感じる。それに思春期の息子からは反抗的な態度をとられ、輪をかけて辛さが倍増してる。

 

こういう気持ちをこらえながら、お父さんは毎日をすごしているのかな。

父子家庭のコミュニティというものがあるなら、話をしてみたいものだ、と思う。

 

 

さて、部活の練習試合の観戦に戻るとするか。

束の間のお昼休憩でした。

メンタルのキャパを超えてしまったとき

今日の夕飯はひどかった。

父親の俺が何もかも嫌になってしまい、3時間ほど家を出て、帰ってきたときには下の子は寝ていて、上の子も起きてはいたがおやすみくらいしか挨拶を交わさなかった。

自分のキャパを超えると、もうどうしようもなくなる。全てが嫌になる。だから、買い物に行くと言って家を出た。8時半くらいから10時半くらい。

ひとり親の父子家庭のみなさんはどうやっていますか?最近本当に身にしみて色々とつらいなあと思うことが重なっています。

 

コトの発端はこうです。

今日は在宅、とはいえ色々やることがあり追われながらも仕事が終わったのが午後7時。そこから疲れた体に鞭打って夕食をつくる。簡単な者だけれど、マコーミックのミートソース。玉ねぎのみじん切りが大変だけれど、レトルトを買うよりはちゃんとした材料を使うから美味しいだろう、との配慮のつもりで選択。玉ねぎのみじん切りと合挽きのひき肉、それに追加したマッシュルームを加え炒める。その間にパスタを茹でるお湯を沸かす。なんだかんだ30分くらいやっていれば料理は出来上がる。栄養のバランスを考え、買ってきたカット野菜にツナ缶を載せ、ドレッシングも準備して夕飯の準備完了。

 

そして料理ができたことを告げ、食べようとするのだが。
問題はここからだ。

いつものことだが、子供たちが来ない。

下の子はニンテンドースイッチでゲームをしている。上の子は家庭教師からもらった筆記用具を眺めているようだ。再びごはんだよ、と伝え、子どもたちから返事はあるものの、一向に食事を始めようとしない。

だから自分だけもう食べ始めることにした。サラダを食べ、パスタを食べる。5分が経過した。もうパスタは冷め始めている。再びご飯食べなさい、というと、はいはい食事が大事なんでしょう、と下の子から返事があった。

 

ここでスイッチが入った(こうして書いていると何だかバカだなあ俺って、と思う)

 

そんなにゲームしていたければしてればいいよ、夜10時までには食べてくれればいいや。

 

そう言って自分はひとりでの食事を続ける。

上の子がやってきて食事を食べ始める。何キレてんのと話しかけてくる。あんたにはわからないだろうなこの気持ち、このあとも君たちの洗濯物を畳むのと洗い終わった洗濯物を干す作業が残っているんだよ、食事は家族の象徴だっていうのに、こんなんじゃエサ食っているようなものじゃないか。 ・・・っていう父親の気持ちなんてわからないんだろうな。と思うと、下の子もやってきて食事を食べ始める。何キレてんの?こんな人の言っていること無視無視、と上の子が言う。ここでスイッチの入った回路がアクティブとなり、心的状態がレイキ状態となった。なんだかバラかしくなってきちゃって、「もういいいわ。食事なんてどうでもいいからゲームしたかったら好きにすればいいから。買い物行ってくるから」と、食べかけのパスタを残して、さっさとキッチンの流しへ皿を片付け、家を出て行こうとした。

 

このときの自分の表情はひどかったのだろうな。
家を出て行こうとする自分に対する下の子の目つきが忘れられない。それまさに、どこか自分とは敵対する何かを見る眼。愛情ではなく、敵対し排除しようとする感情の込もった目。そういう目つきが寄せられるのは、婚姻生活をしていたときに自分がキレてファンヒーターを蹴って壊したとき以来、かな。

 

 

子どもたちは健やかに成長してほしいと思う。

けれど、親である自分がこの先もつのか、疑問になってきてしまった。

あまりにも日常生活が苦しければ、もう死にたくなる気持ち、自分は考えないけれど心中したくなる気持ち、今となってはずっと自分のすぐそばにいるから、そういうときの心境は理解ができると思ってる。

 

父子家庭の皆さんはこのブログを読んでくれているのでしょうか。

私もつらいと思う毎日だってあります。けれど懸命に生きている。最近よくそう思うことがあります。

 

いつか会えるものなら、父子家庭の皆さん同士で話し合ってみたいものですね。

ものすごーーーーく盛り上がると思います。これは確実な線で保証できるかもしれません。

 

それでは、おやすみなさい。