心底つかれてしまったと感じるとき

ふだん頑張っていても、それが日常であるならなんとか惰性?で水平飛行できる。だけれど、普段やっていないイベントが入ってくると、生活のリズムが崩れ、何もかもが嫌になってしまうことがある。今日はまさにそうだった。

 

わが家は面会交流には制限を設けない条件で離婚した。そのほうが子どものためになると当時は考えたからだ。一般的には毎月1回とか、回数を決めて交流させるのだろうけれども、何がいいかなんてわからないから、都度都度協議して決めればいい、と思っていた。

 

だけれど、毎回そうなのだけれど、面会交流、しかも宿泊を伴う場合、子どもたちを見送った後の父親の心的ダメージは計り知れないものがある。

 

今日で何回目だろう。昨日今日と、宿泊付きの面会交流に行かせた。どうも食事のおいしいホテルを予約したようだ。子どもたちも、少なくとも上の子は楽しみにしているようだ。そして出かけて行ったのだが、いつも嫌な気分が残る。

もう生涯いっしょに暮らすことのないのに、一晩限りの愛情?を確かめるための一時的な面会交流に行くのか、子どもたちの気持ちが母親になびいたとしても、一泊二日後ははいさようなら、っていう関係を改めて突き付けるのか、って。

 

離婚するときに面会交流に制限をつけなくていいのかすごく迷った。市役所の福祉相談課にも相談した。そのとき帰ってきた答えは、お母さんが近くにいて都合のいい時にだけ会わせるなんて、子どもたちにとっては踏ん切りがつかいのではないですか、って言われた。でも制限設けないのが子どもたちのためになると思って離婚を進めたけれど、やっぱり何か違う気がしてならない。

 

それは元妻に対する憎しみ、恨みのような感情も多分にあるけれど、やはり離婚を申し出て、親権を放棄した以上、子どもたちの前から姿を消してほしかった。もう後ろを振り返るようなことを子どもたちにさせてほしくないと思った。たぶん毎回こんなことをぐるぐる考えてしまっている。

今日も車を運転していて勝手に涙が出てきた。まだ離婚して1年と少しだから、傷がいえていないのかもしれない。俺って一体なんなんだ。てか、元妻は子どものためを思って面会交流しているのか? 自分がすっきりしたいから面会交流しているだけなんじゃないのか? どうしたってそう思ってしまう。そうすると恨みたいような感情がふわっと出てきてしまって、自分が疲れる。

 

もう今日はヘトヘトになってしまった。いろんなことに満足していない自分がいて、もう気持ちがぐちゃぐちゃになってしまって、あまり考えられなくなってきてしまって。そしてもうすることないから、お酒飲んでさっさと寝る。これしかないと思ってる。まだ夜の7時過ぎだけれど、もう先に寝ると子どもたちには伝えた。明日仕事だ。果たして仕事できるのかな。

 

こんな気持ち、父子家庭のお父さんはどうやってやりくりしているのだろう。本当に興味があります。

 

もうだめかもしれない、もう乗り越えられないのかもしれない、なんて思いたくないけれどそう思ってしまう自分もいる。前を向いていたいのに、自分自身を否定するもう一人の自分がすぐそばにいて話しかけてくる。まあなんというか、統合失調症なのかもしれないけれど。

 

とにかく、今日はもうさっさとビール飲んで寝てしまうことにします。

父子家庭のかた、もしいましたらぜひメッセージやりとりしてみたいものです。

 

おやすみなさい。