感動の卒業式:父子家庭の成長と挑戦

下の子が小学校を卒業する。今日小学校の卒業式があった。

思えば2年前に離婚して父子家庭になり、上の子が離婚直後に小学校を卒業した。そして2年が過ぎ、2回目の卒業式を迎える。

今、卒業式を終わって確実に言える。父子家庭になって、ひとり親になって、卒業式で感じるものがものすごく変わったな、とっても敏感になったな、って。

もう予感はしていた。最後の参観日のときから、涙が出る予感はしていた。

満ち足りた環境ではない。お母さんがいない家庭で、参観日はお父さんしか来なくて、音楽会も運動会も参観日も全部お父さんしか来なくてごめんね。だけど君は大きく成長して、こうして卒業式を迎えてくれた。

今日というこの日を迎えられたことの重みを、ひとり親となった今では自分のこととして直接感じることができる。

他の保護者とはうまくやっているか自信ないし、先生方ともなんとなくやってきた感はある。そりゃあ、親友と仲良く話すような間柄にはなれないし、どこかよそよそしいところは社会人としてはいつもあることなのだろう。

 

なんだけど、いろんな気持ちが頭をよぎるけれど、こうやって人生のステージが進んでいくんだな、って実感させられる。今日の卒業式で下の子は次のステージへ進むことができた。

自分は子どもを支えられているのだろうか。
気持ちを受け止めて来られたのだろうか。
おちつく家庭を作ってこれたのだろうか。

いろいろと考えても仕方ないけれど、いらない思考が頭をよぎる。

けど、今日は純粋に祝おうじゃないか。

 

本当は今日は休みたかったのだけれど、仕事が忙しくて午後からの勤務とした。
在宅勤務だけれど、少しさぼって遅めの業務開始、としようとおもう。

 

卒業おめでとう。

仕事と家事育児の両立に自信がなくなった日。

こんばんは。もう23時を過ぎていつもなら寝る時間なのですが、結構ギリギリな感じなので今の思いを書いておこうと思います。

 

今日は日曜日ですが、休日出勤しました。
どうせ出勤するなら、日曜が休めるように土曜日にしたかったけれど、自分の歯医者だったり子どもの部活の送迎があったりで、日曜にしました。本当に自分ではなく家族都合で日曜の出勤です。

 

誰もいない職場に居て、カタカタと仕事をしていると思います。
ああ、この仕事大丈夫かな、納期に間に合うのかな、って。俺、仕事遅いし、まもなく納期なんだけれど間に合わせる自信があんまりないしなあ。でもやるだけはやってみないといけないな、やめるのはいつでもできるんだし。

という気持ちと、

ああ、下の子は一人で留守番してもらってて、悪いなあ。昨日の夕方にスーパーで買ったおにぎり3個で足りるのかな。またいつものようにリビングで寝転がってニンテンドースイッチをしているんだろうな。いつか習い事をしたいって言ってたよね、本当はこういう日曜に、気になる習い事に一緒に体験レッスン受けてあげさせたいんだよ。だけれどごめんね、お父さんの仕事が遅くて、こんなお父さんでごめんね。

という気持ちが入り乱れて、なんとも言えない切ない気持ちになりました。

 

昼休み、自宅に電話すると下の子が出ます。上の子はお昼をまたぐ部活の試合で不在なので、下の子がひとりでお留守番をしています。お父さん、いつ帰ってくるの? との問に、もし早く帰れたら4時くらいに帰れるよう、頑張るよ、と答えるので精一杯でした。おにぎり食べたの? うん、今食べているよ、との答え。本当にごめんな。本当はいっしょに美味しいお昼ごはん食べたかった。けれどスーパーで買った84円のおにぎりを3つ食べてくれている。お父さんの帰りをすこしでも気にかけてくれて、待ってくれている。

 

俺の人生、一体何なのだろう。
ひとりだけ損しているじゃないか。

 

すごく虚しい気持ちになる。

でも経験で知っている。こうしてピンチを迎えるときもあったけど、今までなんとか乗り切ってきた、って。だけど、次も乗り切れるかどうかわからない。だって仕事はどんどん重たく難しくなってくるから。

 

約束の4時に近づいてきた。

仕事はやればやるほど穴が見えてくる。まだまだやらないといけないことが目白押しだ。すこしずつ仕事をこなす。つらいけどこなしているうち、約束の4時を迎えてしまった。

ああ、ごめんよ。お父さん約束守れなかった。

 

気持ちを切り替えて、仕事を進める。
結局会社を出たのは、定時終了後の5時すぎだった。
翌日の夕飯の材料を買いにスーパーに寄る。明日は何を作ろうか。また遅くなって作れなくても無駄にならない材料ってなんだろう。。。

そしてメニューを決め、スーパーを出るともう夜の6時をまわっていた。
ああ、今日もいつもの時間だ。。。せっかくの日曜なのに、ごめんよ。

 

スーパーを出るとき、LINEで元妻からのメッセージが届いた。
少し長めのメッセージだ。なんだか嫌な気がするが、目を通す。底に書かれていたのは、下の子が来年中学に上がるから、不安にならないように準備をしてください、とのことだった。

 

何言っているんだこいつは。

 

さすがの自分も頭に血がのぼるのを抑えきれなかった。
親権を手放した母親が、子どもは嫌いといったあなたが、女の子だったら自分が親権を引き取るけれど男の子はいらないと毎日の家事育児も我が子も手放したあなたが、昨日も今日も明日も続く食事も洗濯も掃除も全くしなくなったあなたが、子どもの心配をしてください、とよく言えるな。あんたは知らないんだ。中学校の支援学級の体験入学に2回、仕事を休んで一緒に中学校へ行ったことも、来年入学するから体操服やエプロンや制服や指定の靴のサイズあわせに二人で中学校へいったことも。鹿にセンベイをあげたいというから、ボーナスの大半を使って年末年始の長期休暇で奈良公園まで家族3人で旅行して鹿せんべいをたくさん買ってあげたことも。習い事をしたいと言うから、一緒に探そうねと話を聞いてあげていることも。毎日朝と夜、ちゃんとお父さんにあいさつしてくれていることも。何もしていないわけがないだろう。食事は毎朝毎晩、今日だけじゃない、毎日大切な下の子どもを俺がどれだけ気にかけているのか、今日だって休日出勤でどれだけ子どものことを申し訳無いと思って働いていたのか、わかっているのか!

そういうのをすべてすっ飛ばして、中学入学の準備をしてあげてくださいなんてよく言えるな、と。

こうして書いていると涙が止まらなくなってくる。

相手にではない。こんな状況になってしまった自分、上から目線で文句を言ってくるようにしか思えない元妻と知り合ってしまった自分。すべてがくやしい。

 

自分のふるまいをどうしたらいいのかわからなくなるときもある。

生活の基盤は大事だ。これからお金がかかるから、しっかり稼ぐ必要もあるだろう。

けれど、こうして仕事に押される状態で、元妻からのノイズも入ったりするとさすがにきついと思う。

 

もう30分経ってしまった。明日は勝負の一週間が始まる。

やるだけやってみよう。どう出るかわからないけれど、命さえ繋いでいれば、きっと打開できる。

お父さんも大変だよね、と思います。

 

おやすみなさい。

最大の試練(仕事とプライベートの両立)

明日、生まれて以来一番と思われる試練に直面しそうだ。

 

すでに仕事が忙しい状況で、先月の残業は60時間程度だった。休日出勤もして、夜は6時だったり8時だったり、子どもたちの夕食も遅れることがあり、迷惑をかけている。

 

いまでも忙しい状況は変わらないのだが、ここにきて右手を負傷してしまった。バレーボールでブロックをしたつもりが、親指を強打したスパイクに持っていかれた。ブロック直後は痛みを感じなかったが、ブロック直後に右手の親指が動かない。もしやと思うとおかしな方向に親指が曲がり、そのまま固定されていた。

これはやばいと直感的に悟り、その場で左手で親指をつかむと、ぐりぐりっともとに位置に戻した。この瞬間ってのは冷静なものなのだと思う。普通は自分の指がおかしな方向を向いていれば何か嫌な気持ちになってしまい、叫び声をあげてしまうのかもしれない。だけれど、本当に自分がそのような状況になると冷静に、感情なく元通りの位置に指を「動かす」ということをやってのけた。この瞬間は嫌なものだ。右手の親指の関節を無理くり動かし、骨と骨が動く鈍い衝撃を感じながら無理くり元に戻す。

この瞬間、やばいことになったという直感は自分の中にアラートを上げ、ひたすら患部は腫れ、もうバレーボールはその日できなくなり見学していた。

翌日かかりつけ医に行くと、靱帯損傷が疑われると大病院の紹介状を受ける。そして大病院へ行くと、脱臼と靱帯損傷が発生しており手術したほうがよい、と勧められた。

 

手術をすれば右手親指が使えなくなる。今の忙しい状況に加えて、右手の親指が使えなくなるなんて。さらに家事の時間が必要になりそうだ。

 

とはいえ、乗り越えられない試練ではないと思って挑むことにする。

上の子は自分の状況を分かってくれ、率先して皿洗いしてくれた。
もしかしたら、災い転じて福となす、ということわざみたく、今回の試練は家族の絆をさらに強固にする意味があるのかもしれないと思っている。

 

明日は朝から手術だ。
整形外科医の説明は的確で分かりやすいものだけれど、いかんせん、医学分野には慣れていないから、自分の体をそのように治療するとなると気分が悪くなってきてしまう。

 

とはいえ、執刀医は信頼している。たのむぜ若いおねえさん(笑)

 

ということで、明日手術し、6週間の右手親指が使えない生活がはじまる。

さあ、果たしてどうなるか。

すべてのことが、うまくいきますように。家族がみんな笑顔で暮らし続けられますように。

 

忙しすぎて笑うしかない土曜日(休日出勤)

最近は仕事が忙しくて、今日は土曜日だけれども休日出勤することとなった。

普段でも結構時間がタイトなのに、休日出勤と仕事のプレッシャーが入ってくると、もう悲しいとか切ないを通り越して笑いがこみあげてきてしまったので、今日はその記録を残そうと思う。

 

まず今日は土曜日の朝。子どもの部活で市内の中学校に7時45分集合なので、いつも通り朝6時に起床して朝食づくり。例のごとく上の子は起床が遅く、ぎりぎりの時間に起きてくる。そしてテレビを見ながらのんびり朝食。

下の子と私はさっさと朝食を終え、テレビを見たり出かける準備を進めている。あと10分で自宅を出ないと部活の集合に遅刻する時間になってきた。私は二人分の朝食の食器を洗い、あと5分の所で着替えと出かける準備が完了、いつでも出られる状態に。

しかし上の子はうだうだやっている。まだ着替えを始めようともせず、ぼーっと朝食を食べている。おい何やってんだよ、時間通りに出るよう協力してくれ、というと、逆切れして反発してくる。ああ面倒。

やがて出発する時間となった。子どもはようやく着替え始めたが、この時間になって食べ終えた食器を持ってくるので食器洗いをしている時間がない。自分はさっさと車にのって子どもの出てくるのを待つ。結局、約束の時間から5分遅れてやってきた。ほら予想通りの展開じゃないか、なにやってんだ、と言いたくなる気持ちをこらえ、おそらく表情にはもろに現れているのだろうが、だまって車を出す。

そして自分は子どもを送るとそのまま会社へ。重たい仕事が残っているんだよなあ、と憂鬱になりながら仕事開始。試行錯誤で仕事がひと段落したのが夕方6時。会社を出てスーパーへ向かう。今日の夕食と翌日の朝食を買いだすけれど、疲れているときって、ええい今日はこれ食べちゃえ!!って余分に買ってしまいがちなこと、ありませんか?? いろいろと購入してしまい、今日の夕食はなんだか豪華な路線に。

そして帰宅すると、クーラーのきいた涼しい部屋で子どもたちがYouTubeを見ながらswitchでゲームをしている。いいよなああんたらは、気楽だよなあ、と軽くため息。そして重たいスーパー袋3つをお勝手に持ってきて、またため息。ああ重かった。そしてシンクを見ると、今朝上の子が食べたお皿がそのままに。はあ、自分でゆっくり食べたんだから皿洗ってよ、と言いたくなるのをこらえて、皿を洗おうと決意する。

はっと気が付いて時計を見ると、7時を回っている。再びため息。ここで私の我慢の限界を超過してしまった。今日は飲まないつもりでノンアルを3本買ってきたのだけれど、ビールを飲まざるを得ない心理状況で、プシュッとビールを開ける。2本。

今日は鮭のムニエルと鳥団子のスープ。自分でいうのも変だけど、料理は確実にうまくなった気がする。料理を食べるのが午後8時過ぎ。夕食を食べ終わったのは、8時40分、もうすぐ9時になるころでした。

さてここから、干してあった洗濯物を取り込んでタンスに入れ、洗った食器を拭いて食器棚へ戻しながら、子どもたちにお風呂に入るよう促し、今日の衣類の洗濯をはじめる。ここまで一通り終えて9時40分くらい。そこから洗濯物を干し、自分も風呂に入り、はあやっと自分の時間だーとくつろげるのが、今22時半過ぎ。

ああ、土曜日が終わってしまう。大事な土曜日が終わってしまう。今日は朝7時から夜6時まで働いていたようなものだ。今の仕事は人間関係も悪くないしみんないい人なんだけれど、いかんせん仕事量が半端なく多すぎる。こんな生活が続くのなら、休日も返上して働かないといけないような仕事ばかりなら、このままここにいるのはやめたほうがいいのかもしれない、とつくづく思う。

子どもたちの昼食は、今日もコンビニ弁当だった。お金を置き、子どもたちだけでコンビニ弁当を買って食べてもらう。こんな生活がいいはずない。

収入も大事だけれど、自分の生きかた・働きかたを見直さないといけないのかな、そう考えさせられた今日の休日出勤でした。

 

父子家庭の皆さん、仕事と家庭の両立はどうやっていますか?

あんまり激務な仕事は続けていないほうがいいのでしょうかね。

両立できている人がいたら、ぜひコツを共有してみたいものです。

 

それでは。

 

バレーボールと私について

今は夏の土曜日の夜。今日はいつもの熱帯夜ではなくて、激しい雨上がりの涼しい夜を迎えている。こういう夜は、静かに自分と向き合えるから好きだ。

今日は、私の趣味の一つであるバレーボールについて書こうと思う。40代も後半になるのに、自分だってそれほどうまい訳ではないけれど、ネットで見つけたサークルに入り、下は現役の中学生から、上は30代中盤くらいまでのメンバーとほぼ毎週、バレーボールを楽しんでいる。

バレーボールは私にとって無くてはならないもので、自分自身の存在理由のようなものだ。この歳になって、そう感じる。

本当に辛いとき、メンタルがピンチの時、今まで手放していたものでも再び手に入れたいと思うことがある。それが私にとってはバレーボールだった。

 

2年ほど前に離婚協議が大詰めを迎え、10年以上続けてきた結婚生活の破綻が確定的となったとき、私は結婚指輪の処分を覚悟した。売却は、離婚を決意したから、だけではなかった。指輪の売却益で、バレーボールを始めようと思ったからだ。売却益は2万円と少しになったと記憶している。このお金で、バレーボールのシューズとボールを購入し、インターネットにあるチームへ参加し、活動を開始した。

いざ始めてみると、没頭した。運動中はいろんなことに悩まなくて済む。いろんな後悔も恨みも不安も悲しみもすべて忘れることができる。飛び入りで参加したとはいえ、同じスポーツで仲間と活動ができることの楽しさを心底感じていた。運動していると精神的に自由になり、ストレスから解放されていた。

 

自分にとって、なぜバレーボールが自身の一部なのかを振り返ってみようと思う。
バレーボールは、私にとって逃避とリベンジの歴史そのものだった。

 

中学時代、バレー部に入部したが、なかなか上達せず次第に練習をさぼるようになっていった。いつも活動していた仲の良かった友達も次第に部活を欠席がちになり、毎日練習する同学年の仲間との差は広がってしまう一方だった。次第に自分は、バレーがうまくなる同学年の仲間を、うらやましい目で、羨望の目で見てしまうようになっていた。自分だって努力すれば追いつける、自分だってうまくなれるんだ、という気持ちが消え、うらやましい気持ちだけが日々重なってしまうような、悶々としたグレー色の毎日を過ごしていた。バレーがうまくならない。部活に出にくい。同年の仲間はうまくなっていってうらやましい。そして自分は部活をやめた。自分自身の向上心が消え、うらやましさに敗北した中学時代だった。そして部活の大会があるたびに、同学年のバレー部のレギュラーの仲間をうらやましく思った。きらきらと輝いて見えた。その一方で、自分自身の灰色で濁った自分を情けなく思っていた。

高校生になった自分は、もう一度バレーボールをやり直し、グレー色の自己像を取り戻そうと決意した。うらやましさと諦めで満ちてしまった自己評価を塗り替えようと思ったからだ。もちろん部活はバレー部に入った。そしてあまり詳しくは書かないけれど、それなりに自分自身はうまくなり、部活の仲間たちから推薦され部長までやり遂げ、リベンジはできたんだ。

だから、高校生になった自分が、中学生にできてしまったよからぬ自画像を塗り替えたという軌跡が、私にとってのバレーボールだった。

 

きっと、離婚騒動が持ち上がってから、このあたりの記憶が自分にとってのアイデンティティであり、自分自身を保ち続けられる、数少ない要素の一つだったのだろうと思う。

 

やはり離婚となるとメンタルへのダメージは計り知れなくて、今までやってきた音楽活動は全くできない期間が半年から1年くらいは続いた。けれどもメンタルがボロボロであっても自分のよりどころとなるのがフィジカルな運動であり、それは私にとってのバレーボールであった。筋トレも水泳もいろいろやってみたけれど、やっぱりバレーボールに行きついて、今では一番心地いいと感じている。

中学・高校と色々あったけれども、こうして今の自分を形作ることができたバレーボールには感謝している。そして、今でも活躍の場を与えてくれ、10代から30代前半のメンバーばかりの状況でも40代後半の私も受け入れてくれる社会人サークルにも本当に感謝しています。(’ありがとうSさん!)もっとうまくなりたい、もっといいサーブを打ちたい、スパイクをもっと鋭く打ちたい、という気持ちが収まらず、ここ1年は筋トレを始め、離婚騒動のときよりも10キロは瘦せ、あきらかに体型がメタボなおっさんからスポーツやってそうな感じに変わってきました。自分の写真を見ていいなあと思えるのは、本当に幸せなことです。

 

40代後半で運動技能の向上なんて難しいのかな、って思うこともあることはあったけれど、意外とそうでもないようです。ここ1年でスパイクの感覚を取り戻しつつあり、高校生の頃ほどではないけれど、普通にスパイクを打ち込めるようになってきました。調子がいいとアタックラインにスパイクを打ち込めます。試合でもスパイクで得点することができるようになってきました。それに、高校の頃できなかったジャンプサーブも練習を積んでみたところ、今では半分くらいの確率で成功するようになりました。(Vリーグの試合でいとも簡単にジャンプサーブしているのを見て、じゃあ自分も、という軽いノリです。40代でもできるんですよ!)練習試合でも、ジャンプサーブが決まることも出てきました。もちろんVリーガーのような時速100キロみたいなサーブは打てないけれど、普通にレシーブ失敗させるようなジャンプサーブが打てている。ここでもちょっとだけ、自分が好きになれます。

 

ということで、長々と書きましたけれど、けがをしない範囲で、引き続きバレーボールを楽しんでいこうと思います。

 

実は今年の正月に、私は目標をたてました。
今年中に、高校生の頃の自分くらい、攻撃力のあるスパイクを打てるバレーボーラーになろう、です。形にはなってきたので、もうすぐ目標達成できるかな?
とはいえいい歳なので、体をいたわりながら、楽しんでバレーを続けていこうと思います。

 

今回も読んでいただいてありがとうございました。

 

「君たちはどう生きるか」劇場で観ました

こんばんは。

先週末、ひとりで映画館へこの映画を観に行ってきました。

大ヒットらしいですね。宮崎駿さんの最新作。同名の小説にインスパイアされたとかどうとか。

 

で、行ってきました。他の感想を見てしまう前にここに本音を書いてしまうとすると、、、

正直、タイトルから期待する内容は得られませんでした。私の感受性が鈍すぎるのかもしれませんけれど。

 

 

ちょっとここからはネタバレ含みますので、知りたくない方は読まないでください。

お母さん(義理のお母さん、ですね)を探す旅のような話だけれど、死んだのか死んでないのかよくわからないし、物語はお母さんを探す時間で進んでいくのだけれど、なんていうか、タイトルにあるようなどう生きるか、的な要素が感じられなかったんですよね。

ひとつだけ、紙のお札みたいなものがくるくる回っている部屋にとうとうたどり着いたとき、お母さんが「お前なんて来るな、大嫌いだ!」といってしまうところがまだ気になっている。なぜあんなことを息子の前でいうのだろう。

 

これはもう1回観たほうがいいのかな。。それとも、私が感受性が鈍すぎて、離婚にまで至るくらいの鈍さだから、何も感じられなかったのかな。

 

火を使う女の子と一緒に旅をするのはいいけれど、いいんだけれど、タイトルにある小説、明治時代に作られたこの小説とどう関係するんだー!!ってのが結局わからずじまいでした。

 

まだまだ、なのかな。

2回目も観てみようかな。ネット探すと、いろんな人が目から鱗が落ちるような素晴らしい解説をしているのだろうな。

 

ただね、音楽はよかった。

映画の冒頭からゆっくり、休符が意味を成すようなピアノの曲が始まる。この曲はなんでだろう。すごく説得力があるというか、存在感がある感じがした。休符でここまで表現できる曲って、あんまり聞いたことがないなあ、と思いながら聞いていました。

 

 

ということで、あんまりくみ取れなかったのかもしれないけれど、正直なところの感想をかいてみました。

 

みなさんは映画みられましたか?どんな感想を持ったのでしょうね。ちょっと興味があります。。

面会交流したあとの憂鬱。

いつも同じ気分になってしまうので、今日はブログに想いを残そうと思う。

 

面会交流は子どもの権利だし、母親も必要なことは十分わかってる。子どもたちも母親と会いたいと言い、父親の私は笑顔で行っておいで、と送り出してあげる。

多くの場合、母親との面会は昼食をはさんで行われることが多い。
そのときは、自分は昼食前後に予定を入れ、昼食前に家を出て、子どもたちが帰宅したころに自宅に帰ってくる、そんなやりかたをしている。

今日は私は休日出勤で仕事だった。朝家を出て、仕事が終わって帰宅すると子どもたちが待っている。待っているんだけど、なんとなく家に帰る気がしなくて、いつもぶらぶらと回り道をしてしまう。あんまり家に帰る気がしなくなって。

帰宅したらしたで、子どもたちは楽しそうに、〇〇へ行ってきた、とか、〇〇で食べてきた、とか嬉しそうに話をする。お昼食べ過ぎたから夕飯は少しでいいよ、って。

ああ、よかったじゃん、それはおいしかったんだね、よかったよかった!

と応答するも、実は心理的にヘトヘトになっている。もうあんまり立っていられなくなってしまって。今でも椅子に座って別の部屋でこうしてブログを書いているけれど、心理的に落ち着かなくなって、ついついお酒に手が伸びてしまうことが多い(今もそうなのだけれど)


ちょっと本音を書かせてもらうと。

母親が必要なのはわかるけれど、中途半端に生活にかかわってほしくない。離婚したのだから、新しいカレシを見つけるのなら、物理的に会うことのできない遠い街へ引っ越してほしい。こうして中途半端に会っているとふんぎりがつかない。いいところだけ都合よく外食でおびき寄せて、結局は自分が会いたいから、自分の願望を実現したいがために面会しているんじゃないのか。右手では新しいカレシを探し、左手では子どもたちに愛情を振りまく。この矛盾な状態を続けていることが、私にはもう信じられないしあり得ないと思ってる。

自分の勝手な意見だってことは分かってる。わかってるけど、これは子どもにとって筋の通る話だとは思えない。自分さえよければいい、子どもたちはその場で喜んでくれればいい、っていう思想が見えてしまうのは私だけなのでしょうか。

 

父子家庭の皆さん、母親との面会交流はどのように実施していますか。

私は毎回、面会交流があるたびに嫌な気持ちになります。

 

とはいえ、母子家庭における父親との面会も同じことなのですかね。
こういう話を語り合えることができれば、どれだけ救われるのだろうな、と最近思います。。

 

すみません、ホンネをかいてみました。
今日は暑かったですね。皆さんもお体に気をつけて。毎日を楽しく過ごしましょう!