壊れた家庭の先にあるもの(2026年元日の抱負)

今日は元日。世間ではおめでたい日だけれど、こういうみんなが幸せであろう日、というのは好きじゃない。なぜならば、自分の置かれている「普通ではない」状況が何もしていないのに強制的に浮き上がってくるような気がするから。幸せなのはいいことです。みんな幸せになるのはいいことだ。だけど、その前提から外れてしまったら、それは、単なるネガティブキャンペーンと化してしまう。

今年の年末年始は、一人きりで正月を迎えた。

子どもたちが元妻の実家に泊まりたいということで、子どもたちは元妻の実家に預け、私は戸建ての自宅でひとり正月を迎えている。

ここの葛藤があった。毎日の食事、お弁当、洗濯、学費、生活費すべてを私が負担して一人でこなしているのに、節目の時だけ子どもたちと楽しく過ごし、親として振る舞うってどうなの。お正月を家族揃ってゆっくり過ごすべきなのに、父親だけ除外するのだったら、今の家族っていう枠組みは意味があるの。子どもたちはきっとそこまでは考えていないのだろうけれど、もう一人の自分がそう私に言ってくる。だからここは耐えた。じっと我慢した。こんな正月を迎えるさみしさと、毎日の家事をすべて一手に引き受けているのに子どもたちと正月を迎えられない口惜しさと、そしてこんな壊れた家庭担ってしまった今の現状を嘆く気持ちとでいっぱいだった。その気持を筋トレやカラオケで発散してきたけれど、どうしたって気持ちは残ってしまう。でもやり過ごすしかなか自分には選択肢がなくて、そのまま正月を迎えた。

 

正月を迎え、テレビを付ければ幸せそうな装飾を施したテレビ番組がやっている。テレビは短時間で見るのをやめ、初詣に出かけた。

初詣はそれは多くの人で賑わっており、日本っていう国はすごいな、と思った。これだけの人が、寒い中を行列を作って神社にお参りに来る。車は駐車場待ちの長い列ができている。お参りに来る人は、和服を着飾った小さな子供と手を繋いだ親子とか、友人といっしょに来た学生と思われる人たちでごった返していたけれど、少しだけ一人で来る人もいたな。ちょっとだけ気が安らんだかな。

あまりにも行列がながく、寒い中しばらく待ちそうだったので、持ってきたヘッドホンで音楽を聞くことにした。RADWIMPSスパークルを聴いた。この曲は未来があって明るくていいな。正月にふさわしいかもしれない。次に、年末にカラオケで練習していたwacciの劇、back numberの幸せ、を聴き始めてしまった。ほんとうはこうあってほしいのにそうなれなかった。そうできなかった。けれどあなたの幸せを願っている歌。ひとり正月を迎えた自分と子どもたちの将来を願う自分に重なってしまって、喉の奥から込み上げるものが出てきて、やばいと思ったら涙が流れていた。

これは自分を悲しんでいるのではなくて、子どもたちの幸せを願っているんだよ。今の自分を嘆いているんじゃない。明るい未来を願って、今この状態の自分を、今の無様かもしれないけれど、一人で神社に並ぶしかなかった今の自分を真正面から向き合っているから流れる涙なんだよ。

2025年はうこうやって何度涙を流したことだろう。結婚していたときは、こんなことに気づくことはなかった。きっとバラードの曲を聞いても、なんていうか自分の芯の部分まで共感するようなことはなかったのだと思う。だから、こんなにつらい毎日だけれど、これまでのなんとなく幸せを装っていた自分から一皮むけて、相手の気持ちがわかるようになったし、カラオケだけじゃなくてドラムだって、叩くのではなくて感情の意味を加えて奏でることがすこしずつできているのだと思う。

 

だから、離婚してからのつらい経験も無駄ではなかったって、今では断言できる。

きっと普通の家庭を、普通を装って表面上生活をしているときよりは、もっと起伏が激しくなってしまうけれど、物事の意味を理解できる人間に慣れたのだろうと思っている。

今年、2026年もきっといろいろあるだろう。だけれど、やったことはすべて無駄にならなかった。仕事でも、優秀な先輩や上司や同僚に何度も助けられてなんとか生きてこれている。今の調子で、自分自身の人生を積み上げていこうと思う。

 

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最近バンドで始めた練習浴は、RADWIMPSスパークルサカナクションの怪獣、Alexandrosの閃光をやっています。どれも練習しがいのある、ドラム観点でも学ぶべきところが凝縮した名曲と思います。ただ閃光は速すぎちゃって苦戦中。テンポ200超えで16部のハイハットやタム回しっておいおいちょっとこれは相当やらないと追いつけませんね。。ドラムの人、すごいです。あと個人的には、スパークルのドラムが練習していてスルメのように学ぶだけ得られるものが出てきて好きです。スパークルのドラムパターンは、単なるロックという視点だけではなく、吹奏楽の要素や、基礎練のルーディメンツもやっていないときれいに表現できない要素で、攻めどころ、守りどころのメリハリがはっきりしていて面白いです。RADWIMPSのサポートドラムの人が私の好きなドラマー、村石さんに師事していると聴いたことがあり、村石さんのドラムが好きな私が単に琴線に引っかかっているだけ、かもしれませんが。でも、いい曲です。ドラムの皆さんがんばってくださいね。

あと個人的なドラムネタですが、ここ数年タムの鳴りがいまいちな気がずっとしていました。おそらくフープが微妙に曲がっているのではないか?特にロータムの打面側フープがおかしいのでは?と気になっていましたので、決心してドラムを購入した東京の某ドラムプロショップまで数時間かけて車で持ち込み、修理で改善できるか診てもらうこととしました。どうせ練習するなら音が良いほうが気持ちいいですからね。年明けに見積もりが来ますが、セットを買うよりも安くできるなら、お願いしようと思っています。さてどうなることやら。

またもうひとつ追加。サブのドラムセットを持っていましたが、上記某ドラムショップへ中古委託販売しました。ジャズ用に購入しましたが、もうずっと使ってませんでしたし、この先ジャズはあまりやりそうにないですし、自宅の音楽室に2セット入れてもぎゅうぎゅうになってしまうので。果たしていくらで売却できるのか、これもドラムショップの連絡を待ちたいと思います。

 

さていろいろ書きましたが、2026年が始まりました。
私にとっても、みなさんにとってもともに成長し、希望とする目標に向け自らの意思でおこなったすべての行動が理想とする焦点に結実する一年となりますように。

ありがとうございました。

 

2026年 元旦

将来展望(50歳の節目を前にして)

新年あけましておめでとうございます。

普段は仕事や家事の忙しさにマスクされていた、セカンドシングルの寂しさが、ふっと自分を襲ってきた年末年始休暇でした。もう数日お休みは続くけれど、フット感じたことがあるのでブログに残しておこうと思います。

年始はいつも元妻の実家に子どもたちを泊まらせています。それが子どもたちのためにもなると思って、もう元妻の親とは物理的に顔を合わすこともないし話したいと思うこともないけれど、愛情を受けるの親族は多いほうがいいとの配慮から、毎年実行させています。

それで、子どものいない昨日を過ごしていて思った。

ああ、子どもたちも巣立っていったら、自分の老後はどうしたらいいんだろうな、って。この一軒家に自分一人だけではもちろん大きすぎるし、寂しすぎる。

もちろん子どもたちが自立せず自宅で過ごし続けることもあるかもしれない。

だけどそれは特殊なケースで、自立した場合に自分がどう振る舞うか、を考えておきたいと思っている。

 

子どもたちが小学生のうちに父子家庭になって、子どもたちが自立してから自分も定年退職して、それから植物人間のようにテレビをボーッと見続けるだけの毎日なんてゴメンだ。おそらく今のこの自宅に居続けることはしないだろうし、できないだろう。

年を取ると一人になっていく。今も実質一人のようなものだが、子どもたちが巣立っていき物理的に話し相手がいないとなると本当にさみしくなるだろう。昨日の夜は、その寂しさをシミュレートすることができた、貴重な一日だった。

一瞬だけ、再婚が頭をよぎった。

自分が信じてもいい相手、信じられる相手が見つかるのであれば、それは俺のグレー色の人生が少しは華やかになるだろう。

けれど、このダメージは当面の間癒えることはないし、自分自身も心から相手を希望することもないのかもしれない。

だけれど一人ぼっちは嫌だとも思う。

しばらくはこの状態が続くのだろうと思ってる。

折り合いがつくなら再婚も考えるだろうし、そうでなければひとりで気楽にマイペースに生きていくことを希望するだろう。

いまのところこの問いには時間がかかりそうな気がしている。

他の父子家庭のお父さんたちは一体どう考えているのだろうな。ちょっと気になるから、父子家庭のお父さんたちと交流ができるならぜひお話できたらいいな、とも思ってる。これは今年実現できるといいな、と思う。

 

まあいろいろあるけれど、無理せず、自分らしく生きていこうと思います。

人生って早いよね。もう50歳だもの。

さて、自分らしく、今日も生きていきます。

 

2025年1月3日夕方 自宅にて

2024年を振り返って(連休は普段よりもつらい日常ですね)

今日は12月30日。午後の昼下がり、子どもたちが外出しているスキマ時間にこのブログを書いている。


いろいろあった2024年も、もう終わろうとしています。
巷では年末年始休暇中で、連休で嬉しい、はずなんだけれど、父子家庭の私には地味に一般的な家庭像とはずれているので、毎日が、外出したその都度が、いちいちダメージを受けてしまう。

長期連休でも家事は減らない。減るそれどころか朝起きたら3食を作り、昼食を作り、夜になったら洗濯物の取り込みと干す作業は毎日のルーティンだけれど、これに加えて年末は大掃除をしないといけない。大掃除は気持ちを整理して来年に向かう準備として大事なことだってわかっているから、大掃除を始めることにした。

子どもたちはゲームをして楽しんでいるのを横目に、自分ひとりが3人には少し広い?一軒家の複数の部屋を一つずつ掃除していく。子どもたちに手伝わせるべきか、とも思ったけれど、見られたくないものもあるし、自分のペースでやりたいからほっといて自分でマイペースでやる。

ひとりの作業になるから、いつも時間がかかる作業は音楽をかけながら進める。これで辛くてさみしい作業が、孤独と自由を味わいながら気持ちを整理する充実した時間に昇華できる。淡々と作業を進めていると、いろんな思いが頭をよぎる。もう離婚して2年が過ぎた。離婚後にあったような精神の不安定な状態は克服できたと思う。自分で言うのも変だけれど、よくこの1年やってきたと思う。ふと油断すると涙が出てきてしまうこともまだあるけれど、だいぶ安定はしてきたんだと思う。

だけどたまに出てきてしまうことがある。大掃除をしていると、まだ4人で暮らしていた頃の荷物に出くわしてしまうことがある。もうだいぶ捨てたはずなのに、ああ、見たくなかったものを見てしまった。もうあの人のきっかけとなるものはすべて処分しておきたかった。結婚式の写真もすべて破いて捨てたのに。そのままスルーしようとする気持ちとは裏腹に、心に静かで深いダメージが再び起こる。傷口が少し開き、また出血が始まる感じ。ああ、どうしてあの人と結婚してしまったのだろう。どうしてこんな事になってしまったのだろう。この出会いが無ければよかったのか。

窓拭きを中断してふと外を見ると、雪をかぶった山が見える。ラジオの音が聞こえなくなる。心の奥底から、なにか溢れ出す気持ちを感じる。ああ、俺、結構限界ぎりぎりの状態でがんばってきているんだな。ああ、楽しいはずの年末年始に俺こんなことやってるや。目から涙がこぼれ落ち始める。

いつだって声上げて泣きたいんだよ。
話を聞いてくれる人なんていない。昨日も今日も明日も、誰もいない。
話をしたってこの気持ちは父子家庭をしている人でないとわからないのだろうと思う。
スーパーはいつもより混雑して、楽しそうな音楽が流れてくる。赤ちゃんを抱いた若いカップルや、小さな子を連れた家族連れ、手をつないで歩くカップルがたくさん歩いている。

 

ああ、年末年始だ。みんな楽しんでいる。自分は少し状況が違っただけだ。それでも楽しんだ者勝ちなんだ、っておもうようにしている。

 

もう離婚から2年が経ち、新しい生活も軌道に乗っている。

離婚のダメージは想像以上に大きくて、完全に引きずらないことは生涯無理なのかもしれない。

けれどこの離婚のおかげで新しい自分に出会えた気がする。

普通の家族団らんを「装う」よりは、ずっと地に足をつけた生活ができていると思っている。だって、離婚するまでは、中の良い家庭を、夫婦を、装ってきた気がしていたから。

 

来年はとうとう50歳になる。

50歳前にして、今さらなんだけれど自分らしく生きることができている気がする。
自分の中から湧き上がる感情をそのまま吟味できるようになった。だけど結婚生活をしていたときは自分の内面にそんな余裕というか精神状態のスキマがなかった。

ここは離婚したことによる自分の成長かな。

 

そろそろ老後のことも考えていかないといけない。
好きなドラムは続けながら、ずっと独身でいるのか、再婚も考えるのか、少し考え始めようと思う。

ただ、今は再婚する気はまったくない。もう信じて心許していた相手から裏切られるような思いはしたくないし、本当に精神が壊れてしまうかもしれないから。

 

来年はどんな年になるかな。

自分にとっても、子どもたちにとっても、このブログをたまたま読んでいただいているみなさんにとっても良い年になりますように。

 

2024年12月30日

感動の卒業式:父子家庭の成長と挑戦

下の子が小学校を卒業する。今日小学校の卒業式があった。

思えば2年前に離婚して父子家庭になり、上の子が離婚直後に小学校を卒業した。そして2年が過ぎ、2回目の卒業式を迎える。

今、卒業式を終わって確実に言える。父子家庭になって、ひとり親になって、卒業式で感じるものがものすごく変わったな、とっても敏感になったな、って。

もう予感はしていた。最後の参観日のときから、涙が出る予感はしていた。

満ち足りた環境ではない。お母さんがいない家庭で、参観日はお父さんしか来なくて、音楽会も運動会も参観日も全部お父さんしか来なくてごめんね。だけど君は大きく成長して、こうして卒業式を迎えてくれた。

今日というこの日を迎えられたことの重みを、ひとり親となった今では自分のこととして直接感じることができる。

他の保護者とはうまくやっているか自信ないし、先生方ともなんとなくやってきた感はある。そりゃあ、親友と仲良く話すような間柄にはなれないし、どこかよそよそしいところは社会人としてはいつもあることなのだろう。

 

なんだけど、いろんな気持ちが頭をよぎるけれど、こうやって人生のステージが進んでいくんだな、って実感させられる。今日の卒業式で下の子は次のステージへ進むことができた。

自分は子どもを支えられているのだろうか。
気持ちを受け止めて来られたのだろうか。
おちつく家庭を作ってこれたのだろうか。

いろいろと考えても仕方ないけれど、いらない思考が頭をよぎる。

けど、今日は純粋に祝おうじゃないか。

 

本当は今日は休みたかったのだけれど、仕事が忙しくて午後からの勤務とした。
在宅勤務だけれど、少しさぼって遅めの業務開始、としようとおもう。

 

卒業おめでとう。

仕事と家事育児の両立に自信がなくなった日。

こんばんは。もう23時を過ぎていつもなら寝る時間なのですが、結構ギリギリな感じなので今の思いを書いておこうと思います。

 

今日は日曜日ですが、休日出勤しました。
どうせ出勤するなら、日曜が休めるように土曜日にしたかったけれど、自分の歯医者だったり子どもの部活の送迎があったりで、日曜にしました。本当に自分ではなく家族都合で日曜の出勤です。

 

誰もいない職場に居て、カタカタと仕事をしていると思います。
ああ、この仕事大丈夫かな、納期に間に合うのかな、って。俺、仕事遅いし、まもなく納期なんだけれど間に合わせる自信があんまりないしなあ。でもやるだけはやってみないといけないな、やめるのはいつでもできるんだし。

という気持ちと、

ああ、下の子は一人で留守番してもらってて、悪いなあ。昨日の夕方にスーパーで買ったおにぎり3個で足りるのかな。またいつものようにリビングで寝転がってニンテンドースイッチをしているんだろうな。いつか習い事をしたいって言ってたよね、本当はこういう日曜に、気になる習い事に一緒に体験レッスン受けてあげさせたいんだよ。だけれどごめんね、お父さんの仕事が遅くて、こんなお父さんでごめんね。

という気持ちが入り乱れて、なんとも言えない切ない気持ちになりました。

 

昼休み、自宅に電話すると下の子が出ます。上の子はお昼をまたぐ部活の試合で不在なので、下の子がひとりでお留守番をしています。お父さん、いつ帰ってくるの? との問に、もし早く帰れたら4時くらいに帰れるよう、頑張るよ、と答えるので精一杯でした。おにぎり食べたの? うん、今食べているよ、との答え。本当にごめんな。本当はいっしょに美味しいお昼ごはん食べたかった。けれどスーパーで買った84円のおにぎりを3つ食べてくれている。お父さんの帰りをすこしでも気にかけてくれて、待ってくれている。

 

俺の人生、一体何なのだろう。
ひとりだけ損しているじゃないか。

 

すごく虚しい気持ちになる。

でも経験で知っている。こうしてピンチを迎えるときもあったけど、今までなんとか乗り切ってきた、って。だけど、次も乗り切れるかどうかわからない。だって仕事はどんどん重たく難しくなってくるから。

 

約束の4時に近づいてきた。

仕事はやればやるほど穴が見えてくる。まだまだやらないといけないことが目白押しだ。すこしずつ仕事をこなす。つらいけどこなしているうち、約束の4時を迎えてしまった。

ああ、ごめんよ。お父さん約束守れなかった。

 

気持ちを切り替えて、仕事を進める。
結局会社を出たのは、定時終了後の5時すぎだった。
翌日の夕飯の材料を買いにスーパーに寄る。明日は何を作ろうか。また遅くなって作れなくても無駄にならない材料ってなんだろう。。。

そしてメニューを決め、スーパーを出るともう夜の6時をまわっていた。
ああ、今日もいつもの時間だ。。。せっかくの日曜なのに、ごめんよ。

 

スーパーを出るとき、LINEで元妻からのメッセージが届いた。
少し長めのメッセージだ。なんだか嫌な気がするが、目を通す。底に書かれていたのは、下の子が来年中学に上がるから、不安にならないように準備をしてください、とのことだった。

 

何言っているんだこいつは。

 

さすがの自分も頭に血がのぼるのを抑えきれなかった。
親権を手放した母親が、子どもは嫌いといったあなたが、女の子だったら自分が親権を引き取るけれど男の子はいらないと毎日の家事育児も我が子も手放したあなたが、昨日も今日も明日も続く食事も洗濯も掃除も全くしなくなったあなたが、子どもの心配をしてください、とよく言えるな。あんたは知らないんだ。中学校の支援学級の体験入学に2回、仕事を休んで一緒に中学校へ行ったことも、来年入学するから体操服やエプロンや制服や指定の靴のサイズあわせに二人で中学校へいったことも。鹿にセンベイをあげたいというから、ボーナスの大半を使って年末年始の長期休暇で奈良公園まで家族3人で旅行して鹿せんべいをたくさん買ってあげたことも。習い事をしたいと言うから、一緒に探そうねと話を聞いてあげていることも。毎日朝と夜、ちゃんとお父さんにあいさつしてくれていることも。何もしていないわけがないだろう。食事は毎朝毎晩、今日だけじゃない、毎日大切な下の子どもを俺がどれだけ気にかけているのか、今日だって休日出勤でどれだけ子どものことを申し訳無いと思って働いていたのか、わかっているのか!

そういうのをすべてすっ飛ばして、中学入学の準備をしてあげてくださいなんてよく言えるな、と。

こうして書いていると涙が止まらなくなってくる。

相手にではない。こんな状況になってしまった自分、上から目線で文句を言ってくるようにしか思えない元妻と知り合ってしまった自分。すべてがくやしい。

 

自分のふるまいをどうしたらいいのかわからなくなるときもある。

生活の基盤は大事だ。これからお金がかかるから、しっかり稼ぐ必要もあるだろう。

けれど、こうして仕事に押される状態で、元妻からのノイズも入ったりするとさすがにきついと思う。

 

もう30分経ってしまった。明日は勝負の一週間が始まる。

やるだけやってみよう。どう出るかわからないけれど、命さえ繋いでいれば、きっと打開できる。

お父さんも大変だよね、と思います。

 

おやすみなさい。

最大の試練(仕事とプライベートの両立)

明日、生まれて以来一番と思われる試練に直面しそうだ。

 

すでに仕事が忙しい状況で、先月の残業は60時間程度だった。休日出勤もして、夜は6時だったり8時だったり、子どもたちの夕食も遅れることがあり、迷惑をかけている。

 

いまでも忙しい状況は変わらないのだが、ここにきて右手を負傷してしまった。バレーボールでブロックをしたつもりが、親指を強打したスパイクに持っていかれた。ブロック直後は痛みを感じなかったが、ブロック直後に右手の親指が動かない。もしやと思うとおかしな方向に親指が曲がり、そのまま固定されていた。

これはやばいと直感的に悟り、その場で左手で親指をつかむと、ぐりぐりっともとに位置に戻した。この瞬間ってのは冷静なものなのだと思う。普通は自分の指がおかしな方向を向いていれば何か嫌な気持ちになってしまい、叫び声をあげてしまうのかもしれない。だけれど、本当に自分がそのような状況になると冷静に、感情なく元通りの位置に指を「動かす」ということをやってのけた。この瞬間は嫌なものだ。右手の親指の関節を無理くり動かし、骨と骨が動く鈍い衝撃を感じながら無理くり元に戻す。

この瞬間、やばいことになったという直感は自分の中にアラートを上げ、ひたすら患部は腫れ、もうバレーボールはその日できなくなり見学していた。

翌日かかりつけ医に行くと、靱帯損傷が疑われると大病院の紹介状を受ける。そして大病院へ行くと、脱臼と靱帯損傷が発生しており手術したほうがよい、と勧められた。

 

手術をすれば右手親指が使えなくなる。今の忙しい状況に加えて、右手の親指が使えなくなるなんて。さらに家事の時間が必要になりそうだ。

 

とはいえ、乗り越えられない試練ではないと思って挑むことにする。

上の子は自分の状況を分かってくれ、率先して皿洗いしてくれた。
もしかしたら、災い転じて福となす、ということわざみたく、今回の試練は家族の絆をさらに強固にする意味があるのかもしれないと思っている。

 

明日は朝から手術だ。
整形外科医の説明は的確で分かりやすいものだけれど、いかんせん、医学分野には慣れていないから、自分の体をそのように治療するとなると気分が悪くなってきてしまう。

 

とはいえ、執刀医は信頼している。たのむぜ若いおねえさん(笑)

 

ということで、明日手術し、6週間の右手親指が使えない生活がはじまる。

さあ、果たしてどうなるか。

すべてのことが、うまくいきますように。家族がみんな笑顔で暮らし続けられますように。

 

忙しすぎて笑うしかない土曜日(休日出勤)

最近は仕事が忙しくて、今日は土曜日だけれども休日出勤することとなった。

普段でも結構時間がタイトなのに、休日出勤と仕事のプレッシャーが入ってくると、もう悲しいとか切ないを通り越して笑いがこみあげてきてしまったので、今日はその記録を残そうと思う。

 

まず今日は土曜日の朝。子どもの部活で市内の中学校に7時45分集合なので、いつも通り朝6時に起床して朝食づくり。例のごとく上の子は起床が遅く、ぎりぎりの時間に起きてくる。そしてテレビを見ながらのんびり朝食。

下の子と私はさっさと朝食を終え、テレビを見たり出かける準備を進めている。あと10分で自宅を出ないと部活の集合に遅刻する時間になってきた。私は二人分の朝食の食器を洗い、あと5分の所で着替えと出かける準備が完了、いつでも出られる状態に。

しかし上の子はうだうだやっている。まだ着替えを始めようともせず、ぼーっと朝食を食べている。おい何やってんだよ、時間通りに出るよう協力してくれ、というと、逆切れして反発してくる。ああ面倒。

やがて出発する時間となった。子どもはようやく着替え始めたが、この時間になって食べ終えた食器を持ってくるので食器洗いをしている時間がない。自分はさっさと車にのって子どもの出てくるのを待つ。結局、約束の時間から5分遅れてやってきた。ほら予想通りの展開じゃないか、なにやってんだ、と言いたくなる気持ちをこらえ、おそらく表情にはもろに現れているのだろうが、だまって車を出す。

そして自分は子どもを送るとそのまま会社へ。重たい仕事が残っているんだよなあ、と憂鬱になりながら仕事開始。試行錯誤で仕事がひと段落したのが夕方6時。会社を出てスーパーへ向かう。今日の夕食と翌日の朝食を買いだすけれど、疲れているときって、ええい今日はこれ食べちゃえ!!って余分に買ってしまいがちなこと、ありませんか?? いろいろと購入してしまい、今日の夕食はなんだか豪華な路線に。

そして帰宅すると、クーラーのきいた涼しい部屋で子どもたちがYouTubeを見ながらswitchでゲームをしている。いいよなああんたらは、気楽だよなあ、と軽くため息。そして重たいスーパー袋3つをお勝手に持ってきて、またため息。ああ重かった。そしてシンクを見ると、今朝上の子が食べたお皿がそのままに。はあ、自分でゆっくり食べたんだから皿洗ってよ、と言いたくなるのをこらえて、皿を洗おうと決意する。

はっと気が付いて時計を見ると、7時を回っている。再びため息。ここで私の我慢の限界を超過してしまった。今日は飲まないつもりでノンアルを3本買ってきたのだけれど、ビールを飲まざるを得ない心理状況で、プシュッとビールを開ける。2本。

今日は鮭のムニエルと鳥団子のスープ。自分でいうのも変だけど、料理は確実にうまくなった気がする。料理を食べるのが午後8時過ぎ。夕食を食べ終わったのは、8時40分、もうすぐ9時になるころでした。

さてここから、干してあった洗濯物を取り込んでタンスに入れ、洗った食器を拭いて食器棚へ戻しながら、子どもたちにお風呂に入るよう促し、今日の衣類の洗濯をはじめる。ここまで一通り終えて9時40分くらい。そこから洗濯物を干し、自分も風呂に入り、はあやっと自分の時間だーとくつろげるのが、今22時半過ぎ。

ああ、土曜日が終わってしまう。大事な土曜日が終わってしまう。今日は朝7時から夜6時まで働いていたようなものだ。今の仕事は人間関係も悪くないしみんないい人なんだけれど、いかんせん仕事量が半端なく多すぎる。こんな生活が続くのなら、休日も返上して働かないといけないような仕事ばかりなら、このままここにいるのはやめたほうがいいのかもしれない、とつくづく思う。

子どもたちの昼食は、今日もコンビニ弁当だった。お金を置き、子どもたちだけでコンビニ弁当を買って食べてもらう。こんな生活がいいはずない。

収入も大事だけれど、自分の生きかた・働きかたを見直さないといけないのかな、そう考えさせられた今日の休日出勤でした。

 

父子家庭の皆さん、仕事と家庭の両立はどうやっていますか?

あんまり激務な仕事は続けていないほうがいいのでしょうかね。

両立できている人がいたら、ぜひコツを共有してみたいものです。

 

それでは。