メンタル不調が続くときの影響

ここ最近、自分自身のメンタルが不調のような気がする。いや、不調です。

 

よく風邪の引き初めに、ぞくぞくっと寒気がすると本当に風邪をひいているように、今週も仕事しながらぞくぞくっと、自分の心の奥底がダメージを受ける瞬間を感じた。

今日の午後は在宅勤務だったけれど、たまに襲ってくる仕事が手につかない時間がやってきて、つい携帯を手に取って調べてしまう。「離婚のダメージで仕事が手につかない」とか、検索してしまう。するといろんなアドバイスがヒットする。離婚はとっても大きなダメージなんだから、まずはダメージを受けていることを認めましょう、って言ってくれる。

 

ああ、そうだよ。俺はダメージを受けているんだ。俺は頑張って生きているつもりだけれど、こんな時もあるんだよ誰かに分かってほしいけれど、こんなこと誰にも話す相手がいないし話したところで分かってくれないんだよ、って思いながら、勤務中なのにYouTubeを見ながら10分ほどが過ぎ、気が付くと細い涙が顔を伝っていることに気づく。ああ、俺やべえ。俺の今の状態やばいよ。そう思いながら、夕食をこなし、子どもたちも寝たところで、今日は筋トレをせずお酒を飲み、夜遅くにこうしてブログを書いている。

今日は、どうしてこんなにメンタルが不調なのか、こうも不調が続くと何が起こるのか、を、誰ともいわない、このブログを読んでくれている貴重なあなたと、今こうしてまじめにダメージを受けている今の自分と、未来の自分へのエールのつもりで私の気持ちを吐露していこうと思う。

 

まずメンタルのダメージ状態が続くと何が起こるか。

まずクルマの運転がだめになりました。独身時代は車をぶつけたことなんて一度もなくて、こすったりぶつけたりする人は本当下手くそでだめだなってけなしていた自分がいたけれど、先月バックしていたらよその家の外構にぶつけてしまった。ぶつける直前には元妻から面会交流の申し出があって、いつ何時に面会するからおねがいします、みたいなメッセージだったけれど、都合いいときに自宅の固定電話にかけてきて、子どもたちとアポを取ったらその結果を自分に連絡するというやりかたに憤慨していました。俺はただ便利に使われているんじゃないか、相手も勝手なやりかたをして腹が立つ、自分の都合のいいようにしか動いていないんじゃないか、とかなんとか、元妻への恨みが募り、精神的にテンパっているところに、狭い道でのすれ違いのため自分の車をバックしてさっさとやり過ごそうとしたところに、ガツン!とぶつけてしまった、という顛末です。結局警察を呼び事故の報告をして、ぶつけてしまったお相手の方にお詫びをして事故処理を終えました。警察の方から事情徴収をされているとき、警察官のかたも男性のおじさんと若い女性の方と来ていて、女性の警察官の方から事故状況について聞き取り調査を受けていました。別に全く関係ないのに、女性警察官と話している間も、婚姻生活のときはどうだったんだろうとか、子どもにとって女性の母親は大事な存在なのに自分の都合を優先して去っていった元妻って一体何だったんだろうなあ、と思いながら、警察官に応対していましたが、ずっと悲しい気持ちが続いていたことを覚えています。

バンパーの修理代は10万円でした。

その1か月後。上の子の部活の大会のため、遠方の会場に送っていくことになりました。下の子を置いていくわけにはいかないので、家族総出の3人でお出かけすることになりました。しかし当日は大雪で道路が大混雑。そんな中でも早めに出発し、朝食もコンビニで買って食べることにしました。大会会場までの道中、朝食を買うためにコンビニに寄りますが、よりにもよって子どもたちは弁当を食べたいと言う。運転しながら食べられるおにぎりとかパンにすべきでは?と思いましたが、弁当がいいというのでしょうがない、弁当を買い、運転しない社内で5分か10分食べさせてあげました。 しかし道路は渋滞しています。このままだと集合時間に間に合いません。やむなく高速道路を乗り、ここはドイツか?と思うくらいのスピードでかっ飛ばし、集合時間5分前に会場に到着することができました。しかし私の中では、大雪で渋滞が予測できたのに弁当を食べさせてしまったことによる時間のロス、高速道路をあり得ない速度で走ってしまったことの大事故のリスク、を考えると、自分自身のおこないがひどいものであり、理にかなった行動をしていないことを責めました。そして私のメンタルはまたしてもストレスフル状態に。そのときです。駐車場から出ようとハンドルを切り左折しようとしたところに、自家用車の左ドアに高さ1メートル程度のポールが食い込む音が聞こえました。金属の板がひしゃげるような大きな音が響きます。もう、自分は開き直るしかありませんでした。そして修理見積は20万円。板金ではもう修理しきれず、ドア交換です。もう、あほかと。

なんていう生活を続けているけれど、共通して消えないのは、元妻が憎いという気持ちがどうしても消えません。わかってます。もう終わったことを気にしてもしょうがないし、元妻になんてもう何も期待もしませんし、金輪際顔も見たくはありません。けれど、毎日の生活をしていて、朝早く起きて朝食を作り、夕食と洗濯と掃除もしながら子どもたちの面倒を見、反抗期の上の子には時に衝突しながらも奮闘しているのに、向こうは会いたいときに勝手に電話するなり勝手に会うわけでしょう?それに週末は新しい彼氏と楽しんでいるんじゃないのか、って思うと本当にいたたまれなくなる。

俺自身、人を恨むことなんてしたことがなかった。誰かを憎いなんて思うことはこれまでになかった。けれど、元妻は私に教えてくれた。人を裏切ることもあるということ、裏切られることもあるということ、しかしそれは一方的なものの見方かもしれなくて、双方に原因があるかもしれないということ。

 

どこかの離婚問題を相談するWebサイトに書いてあった。恨んではいけない。相手を許すことが、自分を解放される唯一の、最善の方法なのです、って。

無理だって。今の俺は、元妻を許すことがどうしてもできない。これは未練なのか自分が踏ん切りついていないのか、分からない。気持ち的にはもう終わっているのに、まだ踏ん切りがついていないのかもしれない。

 

もう15年くらいまえだろうか。結婚式で愛を誓いますか??とかってアルバイトっぽい白人の神父っぽい人から言われて、「チカイマス」とは言ってみたけれど、そんなもん何の効力も意味もなかった。10年以上元妻を信じて家計も任せてきたけれど、こんなに簡単に手のひらを返したように家庭が壊れるのなんて一瞬なんだって。

 

俺はたぶん確かなものが、なにかが欲しかった。けれど、大事だと思っていたものなんて簡単に壊れてしまうんだ。その現実をまだ受け入れることができていないのかもしれない。だから元妻を許すことができない。

けれど今の自分はきっと、今の暗いトンネルを抜けない限り、元妻を許すことはできないのだろうと思う。本当は物理的に届かないところへ消えてほしかった。自宅から近くのアパートに住んでいて、面会交流したいときに勝手に子どもたちとアポをとって結果だけ自分に伝えてくるから、俺もダメージを受けているのかもしれない。

 

けれどもういいや。

なるようにしかならん。面会交流には制限を設けないという条件で離婚協議書も作っているから、ここはしょうがないな。

 

ということで今日も遅くなりましたが、金曜の静かな夜、ゆっくりしてから寝ようと思います。なんだか今日はいつも以上に書きなぐってしまいました。

 

おやすみなさい。

もちろん原因は離婚だ。父子家庭になって、さあ自由な生活だ!と思いたいところだけれど、自分の置かれている環境を、それこそ毎日の生活を通して本当に様々な角度からこれでもか、これでもか、という形で多面的に自分の姿を見せつけられる。認識せざるを得なくなる。

つい最近、下の子の誕生日を迎えた。