父親の介護の話。

もう80歳を過ぎる私の父親だが、あまり状態が良くない。

もう何年前だろう、10年くらい経つだろう。私の父親は何年も前から自分はもう十分生きてきたから、という理由で毎日酒浸りの日々を過ごしている。

それでも元気でいてくれれば何も問題ないのだけれど、ここ数年で急速に腰が曲がり、ゆっくり歩くようになり、母親の介助がないとトイレにも失敗するようになってしまった。

しかし酒をやめようとしない。自分自身の終活もまだきちんとできていない。私の祖父母はずっと昔に亡くなっているのに、お墓には生前つくられた赤い刻印のまま名前が残っている。遺言書も作っていない。口頭では財産を分けるだのよくしてあげるだの言うが、口頭で言われても何も効力がないと言っても、何も聞く耳を持たない。

だから、父親に会うたび、自分の終活をきちんとしてほしいというのだが、そんな小さなことはどうでもいい、もう充分に生きてきたから、と、酒を飲み続ける毎日。そういった姿勢を改善してほしいともいうのだが、私の一言一言が逆に飲酒へと導いてしまうのだろうか。どんどん自分自身の中に閉じこもってしまい、人としての尊厳を失い続けている気がしてならない。

なので母親の判断で、断酒するための入院に向け、そのような病院の診察を受けることとなった。しかし母親は遠方まで運転できないから、私に運転してくれと依頼が来た。当然平日の朝に病院へ連れて行かなければならない。

 

こんな状態になってしまっても、父親はまだ酒を飲み続けようとするのか。

すでにアルコール中毒であることはわかっている。アルコール中毒の人への対処法を見ると、そんな人であってもその人の存在を認めてあげてください、と書いてある。今となっては難しいと思ってしまう。

父親は自分の世界が限られてきてしまっていることを、限界のあることを悟ってしまったのだと思う。自分自身の世界がこれ以上拡がらないことを、期待していた何かがもう得られず、希望が無くなり、生きていく意義を見失っている状態なのだと思う。これは子としてとても悲しいし寂しい。親はいきいきと生きてくれたほうが、よほどうれしいと思う。

 

けれど父親はお酒を飲まざるを得なかった。
生きていこうとする気力がもう尽きてしまっているのかもしれない。
まだ心臓は生きているのに、心はもう天国へ向かっているのか。

 

そんなんじゃ俺は悲しいよ。お父さん、こっちを見てよ!!

小さなころ何も遊んでくれなかったよねお父さん。せめて一瞬でも心が触れ合ってから旅立ってほしいと思ってる。

自分は幼少期に反抗期がなかった。もしかしたら、反抗するための土壌すらできていなかったのかもしれない。

 

これからどうなるのかわからない。

父親の住む自宅まではここから1時間弱の距離だ。父親の介護まで私がすることになったら、父子家庭の私の生活はかなり困難なものになるだろう。というか破綻することになる。だからといって、この生活を、このおうちを親の介護のために手放すなんて嫌だ。ようやく築いたこの家庭なのに、自宅を売却して父親の元に引っ越すなんて嫌だ。子は親の介助要員なのか?そう思いたくない。

 

だからせめて、何があるかわからないから、毎日を大切に生きていこうと思う。

今日も月曜の24時過ぎているけれど、毎日このマイホームで生きていけることに感謝しながら、日々を大事にしていこうと思う。