素朴でゴージャスな子どもとのひととき。

私は中1と小5の息子と暮らしています。

中1の上の子は部活が始まり、大会だの練習試合だので送迎する週末を過ごしています。部活で学んだ技術が身についてきたようで、楽しそうにスポーツしている姿を見ると、何とも言えない充実感というか、応援したくなる気持ちになります。

ただ気になるのは下の子。

朝7時過ぎに集合して正午過ぎに試合が終わるまでの数時間、下の子は留守番しながらニンテンドースイッチで遊んでいます。本人は「ぜんぜんいいよ、寂しくもないし」と言っていますが、さすがに毎週のようにお留守番が続くと、本人は大丈夫と口で言っていながら、目つきがだんだんすさんでくるのがわかります。

今年の夏くらいまでは問題ありませんでした。下の子からは時々一緒に寝よう、と言われ、寝付くまで一緒に寝てあげることがしょうっちゅうありました。布団に入ると時々手をつないできたり、学校であった〇〇君のことや日常生活のことをよく話してくれます。そのときはうんうんと聞きながら、会話の間隔が開いてきて、気づくとスースーとリズミカルな息が聞こえてきたものです。

それも最近はめっきりやってあげなくなっていました。子どもって不思議ですね。そういうとき、目つきに現れます。

あまりにもゲームの時間が多いと思ったので、午前中はゲームやってていいけれど、午後は出かけよう、と二人で連れ出しました。上の子は部活が終わって今度は自宅で伸び伸びとしています。

ドライブしながら行き先を話していると、イワナの塩焼きが食べたいといい始めました。私は長野県に住んでいるので、探せばそのようなお店はあります。電話して30分ほどのお蕎麦屋さんで提供していることがわかりました。

30分ほど車を走らせて、人里離れた古民家風のお蕎麦屋さんに到着しました。現場はお昼過ぎ、ランチタイムが終了してお店の雰囲気も一息つき、午後の日差しがお蕎麦屋さんに降り注いでいます。お店には数組のお客さんがいましたが、もう食べ終わってお店をでるとことでした。

静かな店内でイワナの塩焼きを2匹頼み、いつもと違う雰囲気のお店で料理が来るのを待ちました。この間、子どもとは何を話したが覚えていませんが、子どもの目を見ながら、その奥にある光というかやわらなかな、暖かな何かがきらっとするのを感じました。

やがて料理が届きました。出てきたイワナは大きいとは言えなかったけれど、お客さんのいなくなった小さなお蕎麦屋さんで食べたイワナの塩焼きはものすごくおいしく感じました。子どもも同じことを言っていて、回転すしで食べるマグロよりも、ファミレスで食べる牛肉のステーキよりもおいしい、って、目をキラキラさせながら、小さい骨まで本当にきれいに食べました。いつも食事では残すことが多いのに、意外な一面で、父親の私もココロがほっこりできた瞬間でしたが、いままで実践できていなかったんだと気づかされました。

いつもごめんね、週末はお兄ちゃんばっかり面倒見てしまって。君のことは最近かまってあげられていなかったね。お父さんひとりしかいないから、お兄ちゃんの部活が終わると洗濯とか掃除とかやるといつも疲れちゃって、お父さん相手できていなかったね。だけど、こうやって時間見つけてちょっとずつでも楽しい思い出作っていけるね。

 

子どもの気持ちを考えると、涙が止まらなくなる。

俺はお父さんできているのかな、って。君の心の支えになれているのかな、って。

自分に自信なんてないし、毎日が手探りだ。週末なんてやることが山積みで時間なんてない。振り返ればできなかったこと、できていないこともあるのだろうと思う。けれど、こうやって一瞬でも通じ合える瞬間が、ココロがあたたかくなれる瞬間があれば父子家庭でも父親として生きていけると思う。

 

一匹600円の小さなイワナの塩焼きは、あっという間に食べてしまいました。おなか一杯にはなれないし、おやつとしては物足りないのかもしれない。それでも、お客さんのいなくなった小さなお蕎麦屋さんですごしたこの時間は、おなかよりも親子でココロがいっぱいになれた、快晴の週末でした。

 

イワナの塩焼き、ごちそうさまでした。