13歳の息子が学校ではないバレーボールクラブに加入することになった。このクラブでは、いろんな学校からバレーボールの好きな子どもたちが集まり、ボランティアの指導者のもとで週に2,3回、バレーボールを学んでいる。
先週と昨日と体験で入らせてみたが、今のメンバーとうまく溶け込めたようだ。体験入部しているときも、まわりとうまくやっているようだ。
バレーボール教室の間、観覧していた他のお母さんやお父さんと話をした。どうやら半数は中学からバレーボールを始めた初心者もいるらしい。しかも、たくさん通ってうまくなっている子もいるとのこと。確かにうまい子も何人かいる。よくよく話を聞くと、その子のお母さんもいて、このクラブに通ってうまくなったようだ。
いろんなお母さんやお父さんと話を進めていくと、この子見たことがある、という。あれれ??よく話を聞くと、小学校の頃ちょっとだけかじったドッジボールのクラブで試合に出たことを覚えていてくれたようだ。何という不思議。ドッジボールのクラブはうまく溶け込めず、結局数か月の体験で終わってしまったのだけれど、こうして今話がつながることがあるんだと思うと、人生無駄なことはないんだなあ、と思う。
練習時間がが終わり、体験入部どうだった?と本人に訊くと、俺このクラブに入る、もっとうまくなりたい、とのこと。親としてはこう言われたら応援しないことはない。そして観覧していた他のお母さん・お父さんにも挨拶をすると、やはりこの子知ってるとの話が。〇〇年前、試合にでた〇〇小の△△君じゃない?と。何という奇遇。あの頃はドッジボールクラブに通わせようとしたけれど、息子はうまく溶け込めなくて泣きべそかきながら、それでも何とかならないかと色々試したけれど、結局ドッジボールクラブへの入会は諦めた何とも言えない記憶が蘇ってくる。
けれどその時の記憶が今繋がるなんて。
そして話をしていたそのお父さん・お母さんが息子を呼びつけ、〇年前のドッジボールの話をすると、あら不思議、その子も完全に覚えていた。。その時の天気(雨が降っていた)、左利きで何人もアウトにしたこと、よく覚えていた。
人と人の縁って不思議なものですね。こうやっていろんなことがつながっていきます。
そして帰り際、うちの息子と〇年前のドッジボール試合を覚えていてくれた子と話をしたときに、その子の瞳を見て思ったこと、感じたことがあります。今日はここが本題です。
自分はバレーが好きなので、うちの息子に限らず同じ学校の子を誘ってバレーで遊んでいます。この時にその子の瞳を見た話します。それに、同じ地域で行事などの活動をしたときも、子どもたちと話します。この時もその子たちの瞳を見て話します。この時にはっと思うことが何度かあり、確信にかわりました。今日はこの話です。
13歳の瞳の奥に見えたもの。
それは、濁らず、透明度の高い透き通った瞳でした。透明度が高いということは、その瞳の奥まで見通せるということです。別に瞳そのものが透明度を持つわけではないのに、大人になった自分は何度も体験させられています。そして、その透明な瞳が意味しているところは、相手を疑わずに話し相手のあなたの言うことを聞こうとする姿勢と、何か新しい刺激を、自分の知らないインプットを希求する心です。
人間、不思議なものです。
ほんの数センチ、数ミリの瞳孔を見ながら話をして、ここまではっと気づかされるなんて。君たちの持っているその気持ち、その姿勢は、大人になった私は忘れかけていたものです。
よく言われます。中高生は乾いたスポンジのようにいろいろ吸収するんだ、って。
このことを、数秒だけなのに話しただけで感じさせる君たちはすごいな、って思います。だからなおさら、この大事な時期に、良質のインプットを提供できるかどうかがとっても大事なんだ、って思います。
中学生は思春期と反抗期真っ盛り。
どうやって付き合っていくのか、自分も試行錯誤なところがあります。生意気な口を利くことなんてしょっちゅうです。ですけれど、こうやって瞳をみながら話してみると、まだまだ君たちは成長を欲しているし、無垢というかまだ自分を形作ろうとしているんだな、って、実感として感じました。
一ついいことに気づけた気がします。
これで、また一歩まともな人間に転身できるかな。
今日はここまでです。
おやすみなさい。