優里「ドライフラワー」

今日は音楽の話をしようと思います。

1年前に離婚して元妻が家を出て行ってから、本当に楽器にふれる時間がほぼゼロになった。昨年の夏に野外ライブをして以来、もう半年以上楽器をさわれなかった。最後にやった野外ライブも、その直前にやったバンドの練習も苦痛だった。練習前に思い出すように短時間で練習するけれど楽しいと思えなくて、練習も本番もただ仕事みたくやっただけだった。離婚届けが受理され父子家庭が始まってからは精神的にガタガタで、精神科に何度か通い、処方された精神安定剤を仕事でもプライベートでも何度も飲んだ。ちょっとは効いたかと思う。その後、何かのきっかけで筋トレを始めてから、精神安定剤も飲まなくなり、精神科にも通わなくなって、だんだん回復してきたと思う。今でもたまに嫌な気持ちに覆われそうになるし、しんどい時も正直ある。だけれど、もう過去は振り返らない。前を向いて生きていくと意識しています。こうしてブログで情報発信しようとも思えるようになってきたし、だいぶ回復しました。(同じような苦痛にいる人、本当に気持ちお察しします。精神科の通院もいいですが、筋トレはおすすめですよ)

 

ということで、最近音楽活動を再開しました。今のバンドの課題曲が何曲かあって、そのうちの1曲について書こうと思います。

 

ドライフラワー

まさに私の夫婦関係が破綻してもめにもめているとき、たまたま耳に入り、よく言う「電撃が走った」のがこの曲でした。この頃の私の精神状態は離婚を切り出した妻に対しての怒りに満たされていて、耳に入ってしまうすべてのラブソングを毛嫌いしていました。「恋をしようよ~」とか「君だけがすべて」とか「愛があれば~」なんてふざけんな!と。出会って知り合うまでの楽しい姿だけ見せて、その後に起こることは全く触れない。想定外として片づけてしまうような、現実感のない、一面しか見せていない姿がきらいで、「やりっぱなし」「後始末はしらない」姿に見えていました。
けれどこの気持ちはすでに先達がいたのでした。アニメ映画「風の谷のナウシカ」の解説を何十年も昔に読んだことがあります。そこではこう書かれていました。ナウシカの世界観とは何か。「世の中は、『環境を大事にしよう』『自然を守ろう』と言っている。しかし、その自然が破壊されたらどうするのか。ナウシカの世界はその自然が破壊され、それでも生きていこうとする世界の設定である」と。この話は当時、私がまだ中学か高校生だった頃読んで、なぜか私の中に深く刻まれました。まさか今の私にこれだけぴたっと当てはまろうとは。。元妻と出会って、楽しい毎日を過ごし、お互い永遠に添い遂げようと本気で誓い合った(ここまでがラブソングの世界)のだが、実はあなたのことは結婚2年目くらいから好きでもなんでもなくてあたしはあなたと離婚することが私の幸せだと思うようになったから親権もいらないしあなたとは離婚したいと私の目を見ながら言われました。そして私はシングルファザーになっています。

ドライフラワーはそういう私の気持ちにピタッとはまり、私の感情を代弁してくれた曲でした。当時はまだラジオで新曲が紹介されはじめた時期でした。私は自分の癒しのためにもぜひこの曲をコピーしたいと思い、バンドの次の新曲候補にしないか、という話に加え、私がそう思うに至った背景となる我が家の離婚騒動を3時間近く、聞いてもらいました。私はこの頃もう極限の精神状態で、話を切り出すまでは本当に辛かったけれど、涙を流しながらバンドのみんなに話を聞いてもらって救われたことを今でも鮮明に覚えています。そのあとこの曲はご存じの通り大ヒットしました。きっと同じように離婚や別れでつらい思いをしている人はたくさんいるのかな、と思います。

 

その後「ドライフラワー」は去年の夏にライブで披露したので、この曲も各パートでレコーディングして練習用の音源にしようという話になりました。ドラムパートの録音に向けて、いままで耳コピ(聞いただけのコピーです)だけだったので、改めて気になるところを譜面に起こしなおしました(結構それなりにまじめにやっています。。)するとどうでしょう、このドラムも味があっていいですよ。ちゃんとコピーすると、ニュアンスも自分なりに咀嚼できて、まさに「味わい」があって楽しいことがよくわかりました。今日はここを書きたいと思います。ぜひ原曲も聞いてみてください。

 

まず、ドラムが入ってからの2回目のAメロ「あんなに悲しい別れでも 時間がたてば忘れてく」のところ。

1拍目の出だしと2拍半目のスネアと同時に、わずかにハイハットオープンしています(細かすぎてすみません)。ドラムの叩き方も、少し重め(ぴったしのタイミングに対して、出る音が少し遅れ気味)ここでは、傷ついて負傷して痛みを感じながら何とかかろうじて歩いている状態がイメージできます。

続いてBメロ「もう顔も見たくないからさ」以降。この曲ではここから初めて、バスドラムが4分音符になります。なぜバスドラムが4分音符になるのか?それは、機械的に1拍ずつ曲調が前に進むから、です。なぜ鳴らし続けるのか?それは、傷ついて痛みを感じながら歩いているこの人が、言いたいことがあって痛みを忘れるくらい、気持ちが前のめりになるから、です。さらに「変わって」の直前でも鋭いハイハットが入ります。これは何か?。恨みにも諦めにも似た、Bメロが始まった時とは違う、また別の尖った感情が込められています。そしてサビへ突入していく。

Cメロの「月明かりに…」以降は解説は要らないでしょう。もう戻れないんです。

そして「ぜんぶ ぜんぶ 大嫌いだよ」で曲と感情のピークを迎えます。ここも、感情のピークとドラムの音のピークはまったく一緒にはならないんですね。よくありがちなのがシンバルの音がうるさくなってしまうケース。しかし、音源ではさすがです。音を抜くところでは抜く。あふれ出る感情を、やわらかなクラッシュシンバルと鋭いハイハットを使い分けて表現しています。

 

私なりに1曲に込められたメッセージを理解して、自分なりにやってみて、先週レコーディングを終えました。
ドラムを叩くということは、私なりの解釈を音にぶつけるということで、 これがどれだけ音に表現できているかわかりませんが、私自身はリフレッシュになっています。

もしよかったら、原曲をぜひ聞いてみてください。なんだか長くなってしまいました。

 

MVを見ると女性が映っていますが、辛いのは、女性だけではない。
一生懸命生きている父親も、ここにいます。
ドライフラワー、いい曲だと思います。